領事部

露日領事関係

ロ日領事関係の起点となったのは、1855年E.V.プチャーチン使節団の訪日である。交渉の結果、1855年、ロ日間に結ばれた最初の条約である「ロ日和親条約」(下田条約)が調印された。この下田条約と1858年のロ日修好通商条約に基づき、日本にロシアの領事館と大使館が開設された。これらの条約では、次のように述べられていた:「ロシア政府は函館港か下田港のどちらかに領事を任命派遣する。ロシアの領事は1856年以降任命される。領事館の場所と建物は日本政府が決定する。ロシア人は領事館内では、自国の習慣やしきたりに従って生活する」。

プチャーチン使節団員だったO.A.ゴシュケーヴィチは、その後初代在日ロシア領事となる。1860年、函館に日本初のロシア領事館が建てられた(この建物はその後建て替えられ、現在も残っている)。1871年、初代総領事兼公使となったのは世襲外交官E.K.ビュツォフ、初代大使はK.V.ストルヴェであった。

現在、在日ロシア領事施設は、在日ロシア連邦大使館領事部の他に大阪、新潟、札幌に総領事館が、また、札幌総領事館の支部が函館にある。ロシアで日本の領事施設の役割を果たすのは、在モスクワ日本大使館領事部、サンクト・ペテルブルグ、ウラジオストク、ハバロフスク、ユジノ・サハリンスクの総領事館だ。全体として、これまでに両国に対等に整備されてきた領事施設は、先に挙げた在外領事施設の管轄区域を考えると、実際の二国間交流の人数や地理的状況に見あっている。

ロ日領事関係の法的基盤となるのは、1966年に交わされた領事関係相互条約である。その後、この国際法文書を発展させて、領事館を通じ、日本との様々な協力に係る多くの合意文書が調印された。

ロ日政治対話の活発化や、両国間の諸問題を建設的・互恵的に解決したいとの双方の意欲のおかげで、近年、領事分野における相互交流が大きく進展した。

特に、ロ日両国で認可を受けたり、ロ日関係で活発に活動している両国外務省職員へのマルチビザ発給についての合意が有効だ。人道的な事情がある場合には速やかにビザを発給するとの合意も一貫して守られており、両国の企業家へのマルチビザの発給数は増えている。

両国の領事分野での多年にわたる作業の成果となったのが、2012年1月28日に調印された、両国国民へのビザ発給手続き簡素化についての政府間合意だ。この合意は、必要な手続きをすべて終えて間もなく施行されるが、その諸規定により、両国の様々なカテゴリーの国民へのビザ発給手続きが大幅に簡略化される。合意では、マルチビザの有効期間が3年に増えると規定されており、二国間交流の活発化への大きな一助となるだろう。